kakeji’s diary

外資系企業に買収されるか、外人の役員に制圧されそうな会社で、日々静かにいろいろと思っています。誰に語るわけでもなくつづる独り言です。

非日常を想像できるかな

「Kakejiさん、帰り道は川崎方面ですよね」
「そうだよ。どうしたの?」
「あの、途中まで彼女たちも一緒に連れてってもらえますか?方向が同じなんです」
そこには3人の初めて会う女性たちがいた。
「え??? もちろん良いけど、まだ18時だよ」
「なにを言ってるんですか。そういう問題じゃないですよ。こういう混乱している時は 何が起こるか分からないじゃないですか?」
「え、、、、今の日本で???」


これは2011年3月11日に後輩の女性社員とした会話で、今でもよく覚えている。そして、のちに自分の配慮のなさ、意識の低さに気づかされる。

地震が発生した日は西新宿のオフィスにいた。当時住んでいたのは川崎周辺。多少の距離はあるが、酔っぱらって渋谷から歩いた経験もあったので、帰ろうと思った。会議室にいる帰宅困難な同僚から「がんばれよ~」、なんて陽気な声も聞こえてきた。当時オフィスは情報が少なく、事の重大さに気づくのはかなり後になる。もちろん自分も同様で、一緒に帰る後輩たちと、途中で一杯やろうかなと思っていた。

 

後輩男性社員たちから「Kakejiさん、準備OKです。帰りましょう!」と声がかかる。そんな時に冒頭の会話となる。

彼女たちは少し申し訳なさそうな表情をしていた。なので盛り上げながら帰ろうと、男性陣で目配せをした。そんな出発だった。
当日の街の混乱は沢山の人が知る、また書いている内容どおりである。人があふれ、人波に押され流されてしまう異常な状態。たまたまお店も開いていたし、街灯も点いていたから良いが、暗闇であったらとんでもない恐怖であったろう。その後も歩いていると、全く知らない女性陣から何度も声をかけられた。「途中まで一緒に行っても良いですか?」と。我々は女性社員を連れていたので、声を掛けてきたのだろう。とても勇気のいることだけど、それ以上の不安があったのだろうと思う。

 

当時私は自分自身を想像力のある人間だと思っていたし、人に配慮できる能力があると思っていた。思いっきりの勘違いであった。非日常など考えたこともなかった。冒頭の女性社員のように、配慮が至ることも行動することもできなかった。未熟だな、と思わされた一コマだった。
3月11日には良くも悪くも沢山の出来事があり、思い出がある。その中でこれは人に語る事ができ、また活かせてもらえそうな数少ないエピソード。優しい社会を作るのは、意外とこういう想像力かもしれないな。